2017年7月24日月曜日

閉会中審査会


自分の中では既に答えは出ていた事なのですが、如何ともし難いモヤモヤ感はもう限界だなと思い、少しだけ時間を取って、今朝、リアルタイムで国会中継を見ました。
 
最初の50分で、思ったとおりというか、今までいろいろわだかまっていた全てが氷解しました。
 
小野寺五典衆議院議員の簡潔な質問とまとめ、それに対する参考人の真摯で明解な答えが全てです。
 
特に前川氏(と、加戸氏)の証言はこの問題の根幹に関わる非常に重要な意味を持っています。
 
もしも仮にこのやりとりが、中継のままの理で報道されなければ、あるいは都合良く切り取られるなら、その報道機関は、国民に対して、危険な特定の思想による統制、洗脳を企図していると判断して間違いないでしょう。
 
私たちは明らかに今、自分の耳目と頭で考える事の危機に瀕しています。
 
本当は誰が何の目的で動いているのか、このやり取りは、一時の感情や扇動に惑わされる事なく、自分の頭で、是々非々で考えることのできるひとつの大きな機会です。

頁にいさん with 伊予吉



2017年7月19日水曜日

夏のパーティクルPart1



「夏の日のパーティクルPart1」1,167×803 (P50) / 2017,7
 
降り注ぐエネルギーと
沸き立つエネルギーとがぶつかり合った場所から
ひとつひとつの粒子が放散していくのです
 
機嫌の良い子供たちの笑い声が
宇宙にこだまして
わたしたちの霊と肉体と言葉は浄化され
富と愛のピークの真ん中にいることを知るのです
 
--------------------------------------------------
 
この春から夏にかけて、集中的に7点の大型作品(50〜100号)を一気描きしています。
これはそのうちの四作目です。
 
前三作は、前にここでもアップした慈母子。
まだまだ修正しながら描き進めています(かなり変わった)。
 
そしてこれと、あと三作。
 
そのうち何点が日の目を見るかは分かりません。
 
でも、おそらく昨年から今年にかけて取り組んできたテーマについて
一つぐらいの答えは、おそらく出せるのではないかと思っています。
 
教師、音楽家(バンドマン)、工業デザイナー、経営者、セッションヒーラー、半貴石デザイナー、画家、という、常時4足ぐらいの草鞋で来た中で、長らくバラバラに存在していたものが再構成され、一つの集約点に再照射されていくのを、近年はとても強く感じています。
 
自分が行きつくところは分かっていても
プロセスまでリーディングすることは不可能です。
だから回り道ばっかりです。
 
ただ、自分に今できることをやるだけ。
行く場所ははっきりわかってるから。
 
僕にとって、絵を描く時にとっても大切なことは
絵を描いてない時の自分の魂。
 
言葉のエネルギーの行く末にいつも気を使うこと。
目や耳に届くものが心に届くものなこと。
時々断食やベジな生活もすること。
与えられた修羅を恐れないこと。
群れないこと。
やりたいことをやること。
慈悲と愛に生きること。
そして神の一手。

2017年7月16日日曜日

湯口



なんだか「温泉行きたい〜」の願望みたいな殺風景な絵ですが、ちゃんと実在する温泉の湯口です。

例えば法師温泉とか鹿の湯とかだったら、特徴的なので湯屋全体パッと思い出せるのですが、たいていは、視覚的にはあんまり変わりばえしないので入ってるうちに自分がどこの温泉に来たのかすら忘れる。

ぼんやり湯口を眺めてぼーっとして終了。

せめてその湯口だけでも記念にスケッチしたいなあとか思うのですが、風呂場でマッパでスケッチブック広げた時点で、スケッチブックも僕もアウト。

だし、もちろん撮影も禁止。

この絵も記憶だけで描いてるので
ディテールはいい加減。

なんか記録残す方法ないかなあ。

2017年7月13日木曜日

先週から暑いのと暑いのと暑いの

先月緊急手術した叔父を見舞うことができ、思いのほか元気…というか、やや悲観的に見ていた予後に、光が射し込んで少しだけ安心できました。



ここは亥鼻(いのはな)というところで、ちょっと台地になっていて、お城跡や大学や病院があるところです。どうして「イノシシの鼻なんだろう。そいや崖があったなあ」とか、僕はまたすぐ地名の由来が気になってしまう。




サザレを30kg仕入れ。写真は洗浄中の4kg分ぐらい。
今まで使っていたのと比べると若干透明度の歩留まり率が低いのですが、大量使用前提のため、盛り込み済み。透明度別でより分け〜洗浄〜乾燥。
時折混じってる針やレインボーのインクルージョンはいい感じ。



寝室のエアコン、暑い日中はキンキンに冷えすぎて夜外気が下がるとモワっと暑くなる。少しだけいや〜な予感。



溶剤ぶっ倒れ事件の後、つとめて屋外作業を心がけているのですが、暑さでぶっ倒れそう。
 
クルマのエアコンが壊れて後自然治癒した。おーい……。

2017年7月7日金曜日

抹茶にテアニン

とにかくコーヒー好きですが、夜にコーヒー飲んじゃうとしばしばオールになりがち。

で、最近の夜は
ちょくちょく僕が勝手にイイネを押してるFBの友達の
良い茶碗と抹茶と菓子による「夜の締め」に影響されたわけでもないのですが
(いや少しくはある)
母の茶道具を横取りして、抹茶を飲んでます。



が、
これが昼飲んでも夜飲んでも眠くて眠くてしょうがない。

長年薄々感じてはいたのですが、ずっと気のせいだと思ってました。
でも毎日飲むようになって、こりゃ気のせいなんかではない
今日という日こそはとググってみますと、あった。

「テアニン」

元々カフェインに強い僕には、抹茶のカフェインなど子供だまし。
このテアニンが作用して眠くて眠くて仕方なくなるのですね。

昼間飲んだらとにかく仕事にならない。
で、この時間です。



茶碗も茶匙にも銘などはございません。
あ、茶碗は敢えて言うなら

「古納豆」

20年ほど前、納豆作りに凝ってた時期がありまして、益子の陶器市をぶらついていた折に見つけ「こりゃ納豆わんにちょうどいいわい」と思い求めて以来の品でございます。

2017年7月4日火曜日

和紙の実験



予てからやってみたかった実験というかいたずら。

元来の持ちネタの、デジタルに立ち返ってみようコーナー。
和紙にデジタルプリントする。

以前ジクレーを依頼した業者への印象があんまり良くなく
&
先達から「ジクレー、10年ぐらいで色褪せるね」という意見も聞き及び
いやそれは困る、もっとしっかりしたものを自分で出来ないものかと。

出来合いのプリンタ用和紙も試してみましたが
均質なクオリティを目指した紙はなんとなく嘘っぽい。

やっぱりちゃんと楮紙にドーサを引いて、顔料インクがいい。

にじみや発色のムラを積極的に利用して
それに見合った絵を描いて
カラーマネジメントを上手くやれれば、かなり良い感じに。

反面、紙ケバの量がすごく、プリンタヘッドやローラー寿命は確実に縮まる。
コストパフォーマンスはジクレー以下かも。

手間ひまもとてもかかり、一筋縄ではいかない。
これも立派な版画だと確信。

追求しがいのあるテーマが一つ増えました。

CGにも、AIにも、写真にもできないこと

写真をまるっと写した絵はすぐ分かる。
パース、解像度、色、陰影、全てがカメラのレンズの特性そのまま。

あ、これはスマホのカメラだなあとか、望遠で撮ったなあ、接写レンズだなあ、広角だなあとか、すぐに分かる。

写真では表現できないことが描かれてない。
写真じゃないと表現できないことが描かれている。

この不自然さ。

デッサンの勉強や、資料として使うならまだしも
作品としてまるまる写して何が面白いんだろう。

写真でないと表現できないことは、写真で表現すればいい。

写真のような絵が問題なのではない。
写真が逆立ちしてもなし得ない表現の写実画は世界中に溢れている。

だがそれらは写真を描いてはいない。
写真にできない、人の目と心で見た世界を表現している。

写真は写真、絵は絵と言いながら
写真をそのまんま手作業で写し取って、作品としてしまうことが大問題。

そんな誰でもできるようなことをやって、上手い下手を言うのは
写真の軍門に下って、手描きによる芸術を否定しているのと同じこと。

ヘタでも突拍子もなくてもいいから
CGにも、AIにも、写真にもできないことを目指してこそ。
目で見た現実と、経験による創作と、魂で見た心象が乗っかってこそ。