2017年6月30日金曜日

今年も作風更新

ようやくアトリエ部屋の掃除も済んで、新しい作品に取り掛かり中。
4号の習作から始めて、50号あたりを経て最終的に100号に着地が目標。

物理的限界の課題やら何やらで、いろいろ模索中。

常時5つか6つのテーマや画風、技法を周期的に彷徨ってます。
作風が変わっていくのは、これはもう生来のものなので、しょうがない。
まだ、開けたくても我慢して開けてない引き出しが十数は残ってます。

これをローテーションしながら、少しずついろんなものが変わっていっている。
自分的には成長なんだと信じて。

写真は、このままの状態なら3年前に一度追っかけたテーマ。



僕は普段は人には見えない、人や生き物をとりまくものが見える体質のため
幾度となくその表現にチャレンジしてきていますが、でも、筆だけでは今ひとつ表現しきれないところがある。

ので、そこに、さらに6年前に追っかけていた水晶のほにゃららを重ねるのであります。
いつかは、それらの画風が全部まとまっていくのかも知れませんね。


2017年6月24日土曜日

The Forest Sunrise



The Forest Sunrise / 455x333(P8) / Oil and Crystal on Canvas / 2017 / Chihiro SATO

日輪は、宇宙と大地をまっすぐに射抜き
小さな者達をやわらかに
森の中の小さな広場へと導く

水晶市場

2017年6月22日木曜日

A summer in the port



A summer in the port / 227x158 (SM) /Oil and crystal on Canvas /2017.6


水晶の絵シリーズとは、2010年に初めて発売された、壁にかけるパワーストーンです。
吉祥を呼ぶ色彩に浄化済みの水晶が散りばめられています。
パワーストーンが飾れないお部屋や、より清浄な気を必要とするお部屋にどうぞ。

本作「The Morning sun」は、ペリドット、シトリン、ガーデンクォーツといった、ポジティブな富貴を象徴するストーンに準じています。

サイズ:227x158(SM)

額装付きでお送り致します。

水晶市場

慈母子

画像に含まれている可能性があるもの:1人

「慈母子」(仮題)/1620x1300(F100)/Oil on Canvas

天女母と子
光を浴び
コーザルに包まれ
神に護られ




進捗9割。そろそろ手放して次の作品に取り掛からないとシフトがうまく繋がらないので、ここで一旦完成宣言。
半月ぐらい放置してから、細かいところを修正したらサインです。


2017年6月15日木曜日

【急募】「帰ってきたよ」をお譲りします

先日、中野のミニギャラリーにて
「帰ってきたよ」(椿と雀の絵)を目当てに来てくれたお客様



「いやこっちの方もいいなあ」とその場で気に入っていただいた「踊る慈母」



「これ幾ら?」

と聞かれて初めて、この作品が価格リストにも
ネットギャラリーにも、水晶市場にも、まったく載ってなかったことが判明。

去年の個展に出したっきりだった( ̄O ̄;)
おっかしいなあ、きちんと管理してたつもりなのに。


お客様には別に、注文制作の依頼を頂きましたが
結局2つとも嫁ぎ先は未定になりました。

特に「帰って来たよ」は、貸出先に無理を聞いて頂き、半ば引き剥がすように撤収してきた経緯もあり、ちょっと戻すわけにもいかず宙ぶらりんになってしまいました。

どなたか購入したい方がいらっしゃいましたら、今なら価格もご相談させて頂きますので、ご一報ください。

お知り合いの方でも結構です。
ご紹介で成約の際は僭越ながら謝礼をさせて頂きます。

(価格は一応仲介契約の関係上、100万ということになってますが、それはそれ、あくまで言い値ということで)

パリのギャラリーでも評判を呼び、何ヶ所かの貸し出し先でも良いことが続いたという、とても縁起の良い絵です。

F50/木質パネルに油彩/2013年作 です。作品詳細はこちら。

2017年6月10日土曜日

母子



「母子」273x273 (S3) / Oil on Canvas /2017

手遊び
まなざしとまなざし



見つめ合う母子を、さり気なく描くにはどうしたらいいかを、ずっと考えていて
一筆描きだなあという、今日の結論。


2017年6月9日金曜日

今日はもうおしまい

ダンマル溶液を画面全面に落とし、そこにマチエールを散らす作業中……




受けの段ボールの底が抜けてマチエールを全てぶちまけた挙句
下絵が溶液ごと流れて消えた……。
人生は儚い。

2017年6月7日水曜日

劣等生に優しかった前川教授

今までの人生の中で、「恩師」と言ってすぐに思い浮かべることができる人が3人います。

一人目は、廣野重雄氏(故人)。
6歳にして人生で初めて僕が「芸術としての絵画」に開眼するのを手助けしてくれた人です。
彼によって、僕は明らかに「開眼」しました。

広野氏は同世代以上の気仙沼で育った人なら必ず一度はこの名前を耳にするいわば郷土の偉人です。
彼に絵の手ほどきを受けた人はまだ何千人といるのではないでしょうか。


二人目は、大学時代の工業デザイン専攻の恩師である藤原俊三氏。
イタリアのデザインが日本でブームになるずっと以前から、イタリアンデザインの魅力と素晴らしさ、そしてその手法を、地方の大学の学生達に言葉一滴も漏らさず伝えてくれました。

ちなみに僕のアルファロメオ好きは完全にこの人の影響です。免許のある学生には惜しみなく自分の愛車を運転させてくれました。


三人目は、同じ大学の教授で、専攻は全く違うのによく目をかけてくださった、前川直氏(故人)。

本来ならば恩師というには接点も少なく、また遠い存在の大芸術家ですが、この方にはどういうわけか僕は事ある毎に助けられてきたのでした。

前川氏のいかにも江戸っ子らしい、豪放磊落な武勇伝と、そんな氏の姿からは全く想像のつかない繊細できめ細やかでありながら強いエネルギーを感じる装丁の世界についての魅力と実績は、わざわざ僕がここで語る必要もありません。

確かに当時、学生にとっては常に遠い存在でした。

何しろ、「絵なんか教えるもんじゃない」「オレは教えない。教えたい学生なんて10年に一人もいない」と豪語している人でしたから。

ところがどういうわけか、僕にとっては前川先生の思い出は、何十年経っても脳裏に鮮明に焼き付いて離れないのです。

彼はいつもバーバリー(三陽ではなく英国版)のコートを颯爽と翻しては、全然関係ないはずの、我々の研究室によく立ち寄ってくれていたものでした。
研究室で行う学生主催の飲み会にも、科も違うのによく顔を出してくださっていました。
僕は彼の話が大好きでした。



前川先生にまつわる様々な思い出の中で、僕が決して忘れられない思い出がいくつかあります。

一つはデッサンのこと。
当時、一年の必修であるデッサン担当の教授は二人いて、そのうちの一人が前川教授でした。

しかし「教えない」「教えたい学生なんぞいない」と言う前に、彼は版画科の教授であり、多忙な装丁作家であり、東京在住で仕事の傍ら、週一で盛岡に来てはちょっと大学に顔を出して後は飲みに行ってしまうのが常でしたので、一年生の相手なんかしてる暇はないのです。

それで学生の間では、前川教授にはデッサンは教えてもらえないというのが代々暗黙の約束事になっていました。

片や僕はその頃美術より音楽に夢中で、しかも石膏デッサンが本当にキライでしょっちゅうサボっており、あまり出来の良い学生ではありませんでした。いや、殆ど落第生に近い。

いつもやりかけのデッサンを放りっぱなしでデッサン室に近寄りもしなかったのです。

ところがある日、気まぐれにやる気になって(たぶん提出の前とかだと思います)カルトンの前に座っていると、ある教授から声をかけられました。

「『ヘタクソだが面白い絵を描くやつがいる』って聞いたけど、キミか。」

その教授は「うん、ホントにヘタクソだねえ」と一言付け加えるのを忘れませんでした。

がっくりきました。

ところがその数日後の提出前夜、今度は前川教授がひょこっとデッサン室に現れて、なんと僕の方にさっと近づいてくるではありませんか。

そして一言「キミのデッサン、おもしろいよ、そのままでいいよ。」とだけ言い残して去って行ったのです。

その時の僕の驚きぶりたるや。

よりによって「面白い」と言っていた当人が前川教授だったとは。

片田舎の学生を有頂天にしてしまうには十分な出来事でした。

ちなみにその時の石膏像は、ミケランジェロの「奴隷」です。
嬉しくて嬉しくて、そのデッサンはしばらく実家に飾ってありました。

しかし自分が見ても、本当にヘタクソでした。
個性?
うーん、おもしろいと言えるほどの個性があったとも思えないのですが。


まあ、今にして思えば、彼流のジョークだったのかもしれません。

それから僕は、少しだけデッサンのことが好きになりました。


しかし何と言っても、決定的にお世話になったのは、卒業制作の審査でした。

僕は卒業制作(他の学部でいうところの卒業論文)に、資金面でもスケジュール面でもかなり苦労していました。

テーマは、「新型の都市型コミューターにおける車両小型化のための新機構」というようなものでしたが、工業デザイン系の制作ですから、完成体を作らなければなりません。

ところがどうしても期日に間に合わない。
2週間以上も泊まり込みで徹夜を続けても間に合わない。
みかねた後輩達に手伝ってもらっても、担当の藤原教授に迷惑をかけても間に合わない。

とうとう、本当に「機構部分」だけ、審査に出してしまいました。
やぶれかぶれです。

これだけでも審査を通るのはかなり難しい状況でしたが、なお悪いことに、審査会場で、一番の売りであった、いや唯一の売りであった、機構リンク可動部分がどういうわけか、居並ぶ教授陣の目の前で、ぴくりとも動かない。

後で聞いた話では審査当日、会場に運ぶのを手伝ってくれてた後輩の手違いで、リンク部分のシャフトを折ってしまっていたのでした。

万事休す。
僕は落第留年を覚悟しました。

研究室に戻って落ち込んでいるとしばらくして、審査の結果を、僕の担当教官である藤原教授が知らせに来てくれました。

藤原教授「千洋、おまえ、命拾いしたぞ」
僕「え?」
藤原「当然、教授全員おまえの評定は「不可」でさあ。だけど、前川さんだけ、どうしても『これは絶対に新しい。面白いじゃないか。なんでこれが不可なんだ!コンセプトだけで可をくれてやれ』ってさあ。まさに鶴の一声だったんだぞ」
僕「……」
藤原「前川さん、昔メッサーシュミット乗ってたからなあ」

そう、僕の卒業制作は、昔のメッサーシュミットKR200に代表される「バブルカー」の現代版だったのです。




でもこんなじゃない。骨だけ。

前川教授がいなければ、僕は絶対に卒業できませんでした。

その後もどういうわけか不思議に目をかけてくださり、行きつけのバーに連れて行ってもらったり(もちろん僕だけではなく、何人かの取り巻きの一人として)、卒業後も就職活動もせず研究室でプラプラしていた僕に就職をあっせんしてくれたり(結果的に採用は実現しませんでしたが)、科も違う、大して愛想が良かった訳でもない、このあきれるほどのポンコツ劣等生に幾度となく手を差し伸べてくれたのでした。

きっと担当教官である藤原教授からの口添えもあったのだと思います。
にしても、なんであんなにかまってくれたのか、今でも不思議です。

僕が大学を離れてまもなく、彼はさっと風のようにこの世を去っていかれました。




追記)
僕が前川先生を勝手に「恩師」と思っているのにはもうひとつ、他に大切な理由があって、それは今の自分の画風の一つにつながっています。それはまた機会を改めていつか書きたいと思います。

2017年6月5日月曜日

うちなるもの、天なるもの

「早瀬」2016 (部分)


最近は珍しく、続けざまに具象を制作してます。

人物です。

人物は4年ぶりぐらい。

僕は人物はスケッチの時以外は殆ど対象を見て描きません。

記憶に頼り、最初は狂ったデッサンのまま、ポーズも想像で始めます。

下書きも一切しません。


デッサンの狂いが気になった時だけ修正しますが、狂っていてもそのままにすることがあります。

上手に描きたいという気持ちでやってるとすれば、かなり不利で面倒なことをやってるのですが、まあ、見て描こうが見ずに描こうが、どうこねくりまわしてもヘタクソなものはしょうがない(笑)


でも、やり直しや試行錯誤、一心不乱、無意識の造作を許してくれる部分こそが
技法としての油彩の、平面構成における最高の利点と言えるでしょう。
具象はそれを思い出させてくれる、大切な立ち返りでもあります。


で、ああでもないこうでもないと具象を制作しながら、僕は抽象の事を一所懸命考えます。

両手を動かしながら、同時に過去の作品を見直しながら
具象と抽象、両極端なことをしていると、アイデアも妄想も膨らみます。


ノーコンセプト、ノープラン。
そして制作中、全然違う抽象のことを考えている。
それには理由があります。


コンセプトのしっかりした絵は素晴らしいと思います。
綿密なプランのある絵も素晴らしいと思う。
けれども、もっと素晴らしいなあと思う絵は、内なるもの、天なるものが描かせた絵。

残念なことに、どんなにデッサンがしっかりしていて、美術技術的に上級で、綿密に計画された、熟練された絵でも「はいきれいだね」で終わってしまう絵はある。
それは、上手でもエネルギーが不足している。故に作品の寿命が短い。


逆に、それらを全部ぶっとばしたような「なんだこれ?」「うへえ」「こなれてないなあ」というような絵肌、構成の絵でも、作者の意図(コンセプトや思い)と、それを超えた意図(内なるもの、天なるもの)が組み合った絵は、いつまでも僕の心を打つ力を持っています。
ものすごいエネルギー。作品の寿命が長い。


それは大真面目な「大作」であっても、気楽なエンターテインメントでも、頼まれ仕事でも同じ。

僕自身も、ギミックに走ったり、大見得切って芸術とかやり始めると絵が死んじゃいます。
そんなことより「今日は内なるものとちゃんと会話できたか」「天に任せられたか」が、とっても重要。


そのためには、どれだけ人生の経験をしたか、どれだけ内なる神と会話できたか。


一番やりたくないのは、アカデミックな技術論芸術論で絵を見ること描くこと。
気をつけてないと、すぐそうなっちゃう。

技術なんて方便。
あれば便利。
でも、絶対じゃない。

絶対なのは、この絵を必要としている人が世界のどこかにいて
そのために描いているのだという思いと
そのために、自分は様々な経験を積んで、今ここにあるという
少しだけ謙虚な気持ち。

それが、内なるもの、天なるものにアクセスを許してくれる唯一の切符。


「オレの芸術はスゲエ」

というような考えは、まあ、面白い、いいようでいて
でも、結果的には自分の絵を殺す。
芸術かどうかは重要なことではないのです。

技術を捨てよう。
意図を捨てよう。
人に答えよう。
世界に答えよう。
神に答えよう。
そして楽しもう。

自分への戒めです。


2017年6月4日日曜日

コリアンダー



コリアンダー(パクチー)の花は、ちょっとホトケノザライクです。
似てる訳ではありませんが。

中途半端にむしられたように3〜4枚の花弁。
それをバックに、蓮の花みたいな花托と…こっちがホントの花弁かな…があって、その中に雄しべが3つほど。
3人の騎士が円卓に向かっているようにも見えます。

もっとも、ルーペで見ないと分からないような小さな花なのですが。

葉っぱは、普段我々が食べている部分は下の方のよもぎみたいな葉様。
上の花に近い方は、針のように細くて似ても似つかない葉様です。

こないだパン屋さんの庭でみかけたレースフラワーをコリアンダーと勘違いしました。
花のつき方は違いますが、単体ではとてもよく似ています。葉様も。

2017年6月3日土曜日

頬杖

「頬杖」(F6)


女性がテーブルに頬杖をついています。
半分、目をつぶっています。
キレイなのですが、その顔は白く、半分しか見えません。
しかも無表情で、どこかお面のような雰囲気があります。

ぐぐっと曲げた左腕はテーブルに体重を乗せて、筋肉がしっかりと支えています。
胸元は広く開いており、蒼白の顔色とはアンバランスな艶めかしさ漂わせています。
右腕は力なくテーブルに投げ出されており、左半身とは全く雰囲気の違う、どこか見る者を拒否するバリアのように横たわっています。





2017年6月2日金曜日

キアロスクーロの復活


キアロスクーロ(闇を作って明暗を極端にする技法)に着手。

キアロスクーロ、訳あって2年ぐらい封印してました。
ホントは大好きなの。

封印するとフラット&ビビッドになる。
このフラット&ビビッドを2年ほど追求して、うまくいった部分もあれば、打ちひしがれた部分もある。

はっきり分かったのは、具象でそれやると、意図がイマイチ伝わらないという事。

画力の問題なんですけどね。

で今回復活させてみたという訳です。