2010年9月21日火曜日

神からの応用問題

あなたが、理不尽な思いをした時
言い返したり対抗できなかった時
憤慨をどこにもぶつけられずにいる時
一様に、それは、あなたの思いが良くなかったからだとか
愛で受け止めれば相手は変わるからとか
そんなふうに聞いたり言われた事はありませんか?
それをそのままいつも同じ方法で実践して
かえって辛い思いを深めているのではないですか?
重要なのは、そういったような、ドグマ(教義)ではありません。
あなたはあなたの人生の主人公でありながら
理不尽な思いを何度も経験しなければならないのですが
それらは全て解決し、大団円を迎えなければなりません。
そしてその解決の局面は常に
その理不尽な現象の本質によって、取るプロセスを変えて行く必要があるのです。
怒りを覚える場面でも、怒りを抑えるべきところと
むしろ怒りを表現した方が良いところがあります。
戦ったほうがいいところ、そうでないところ。
今はぐっとこらえて待った方がいいところ。
瞬発力で取りに行った方がいいところ。
プライドを捨てた方がいいところ、プライドを死守すべきところ。
それらは一様な教条ではなく、常に神からの応用問題として解く必要があります。
それはテクニックであり、練習です。
自転車に乗る様な感覚です。
その最初の第一歩は
自分がこれまで信じていた常識や道徳、そして人としての道を
全て疑うというところから始まります。
常識の外し方をマスターしたら
神からの応用問題を解くことは、実はとっても易しいのです。
といっても、なかなか一言では難しいかもしれません。
セミナーで伝えようと思っています。

2010年9月15日水曜日

苦悩の後歓喜へ至れ

誰かに言われたり、何かで見たりしたもの、みんながやっていることは、あなたの人生ではない。
どこかで聞いたような理想像、幸せ像、人生像を疑え。
あなたは、誰も到達したことのない
あなただけの未踏の地に行こうとしているのだ。
神は言う。
開拓せよ、未踏の地にあなたの足跡を造れと。
あなたは誰かが作った人生を歩むことはできない。
あなたの生き方は、あなたにしかできない。
あなたの前にあなたは居ず、あなたの後にあなたはいない。
いかに生きるべきか苦悩しよう。
何にも囚われず、何にも左右されず。
喜びの中にあって、苦悩せよ。
苦悩の中にあって、喜びに至れ
そうすれば荊の中で、あなたは安息を得るだろう。
そしてあなたは息を吹き返して雄々しく立ち上がる。
苦悩の後歓喜へと至る道が待っている。
苦悩しよう!慟哭しよう!謳歌しよう!歓喜しよう!
慟哭者にのみ、謳歌があり
苦悩者にのみ、歓喜が用意されている。
あなたは、いつも神と共にあって、やがて世界を愛で包む。