2010年9月21日火曜日

神からの応用問題

あなたが、理不尽な思いをした時
言い返したり対抗できなかった時
憤慨をどこにもぶつけられずにいる時
一様に、それは、あなたの思いが良くなかったからだとか
愛で受け止めれば相手は変わるからとか
そんなふうに聞いたり言われた事はありませんか?
それをそのままいつも同じ方法で実践して
かえって辛い思いを深めているのではないですか?
重要なのは、そういったような、ドグマ(教義)ではありません。
あなたはあなたの人生の主人公でありながら
理不尽な思いを何度も経験しなければならないのですが
それらは全て解決し、大団円を迎えなければなりません。
そしてその解決の局面は常に
その理不尽な現象の本質によって、取るプロセスを変えて行く必要があるのです。
怒りを覚える場面でも、怒りを抑えるべきところと
むしろ怒りを表現した方が良いところがあります。
戦ったほうがいいところ、そうでないところ。
今はぐっとこらえて待った方がいいところ。
瞬発力で取りに行った方がいいところ。
プライドを捨てた方がいいところ、プライドを死守すべきところ。
それらは一様な教条ではなく、常に神からの応用問題として解く必要があります。
それはテクニックであり、練習です。
自転車に乗る様な感覚です。
その最初の第一歩は
自分がこれまで信じていた常識や道徳、そして人としての道を
全て疑うというところから始まります。
常識の外し方をマスターしたら
神からの応用問題を解くことは、実はとっても易しいのです。
といっても、なかなか一言では難しいかもしれません。
セミナーで伝えようと思っています。

2010年9月15日水曜日

苦悩の後歓喜へ至れ

誰かに言われたり、何かで見たりしたもの、みんながやっていることは、あなたの人生ではない。
どこかで聞いたような理想像、幸せ像、人生像を疑え。
あなたは、誰も到達したことのない
あなただけの未踏の地に行こうとしているのだ。
神は言う。
開拓せよ、未踏の地にあなたの足跡を造れと。
あなたは誰かが作った人生を歩むことはできない。
あなたの生き方は、あなたにしかできない。
あなたの前にあなたは居ず、あなたの後にあなたはいない。
いかに生きるべきか苦悩しよう。
何にも囚われず、何にも左右されず。
喜びの中にあって、苦悩せよ。
苦悩の中にあって、喜びに至れ
そうすれば荊の中で、あなたは安息を得るだろう。
そしてあなたは息を吹き返して雄々しく立ち上がる。
苦悩の後歓喜へと至る道が待っている。
苦悩しよう!慟哭しよう!謳歌しよう!歓喜しよう!
慟哭者にのみ、謳歌があり
苦悩者にのみ、歓喜が用意されている。
あなたは、いつも神と共にあって、やがて世界を愛で包む。

2010年8月13日金曜日

変わる必要はない

あなたが変われば、周りが変わる」
という言葉を聞いた事があると思います。
でもね。
そうじゃない。
あなたは変わらなくていい。
もちろん、周囲も変わらなくていい。
どっちもそのままでいい。
変わるのはあなたでも周りでもなくて
神さまがあなたを許してくれるということを
あなたが許してあげることなのです。
今のあなたは、本当のあなたでいられてないのかもしれない。
何かの原因で。
本当のあなたなら、あなたとあなたの周りは、許し合うことができる。
でも、何かが滞ってるおかげで、それができない。
無理に自分だけを変えようと思ったって疲労するだけです。
でも、本当のあなたが取り戻されれば、あなたは変わらなくても
周りもあなたも許し合うことができる。
そのためにはまず本来のあなたが、取り戻されなければならない。
本来のあなたは自由で健康。
自由で健康であるためには、あなたが許される必要がある。
あなたは許される。
だから安心して下さい。
もしも、どうしてもあなたが許されてないと感じているのなら
ドアをいつでも叩いて下さい。

2010年7月28日水曜日

あなたはまず癒されなければならない

人は誰でも悩むもの、ままならない事に苦しむもの。
欠点のない人間がいないように
問題を抱えていない人はいない、試練を与えられていない人もいない。
そして
悩みも苦しみも
悩んでも仕方ない、苦しむ必要はないと分かって
その対処方法を会得している人にとっては
その方法を実践すれば良いこと。
自己鍛錬によってそれはできる事が分かっている。
(仏教で言えば上座部や密教と言われるもの)
あなたは苦しんでいる時に
「苦からの解脱を成し得た人」の本を読んだことがあるでしょう。
方法論も分かっている。
でも悩みは一向に消えない。
それはなぜか。
それは、あなたは悩みや苦しみから解放される前に
まず癒されなければならないからなのです。
悩みを抱えたままでいい。苦しみを抱えたままでいい。
今いる場所で、まず癒されること。
安心すること。
悩みや問題を解決するのではなく
それらを抱えたまま安心するということ、癒されるということ。
解脱者の多くは
「癒されて後悟りを得る」
ということを、すっかり忘れている。
だから、「悩みを解決するには悩まないことです」などと
平気で言えたりする。
でも
真の解脱者は、そんな救いや解決をあなたに与えるのではなく
安心と癒しをまずあなたに与える。
救いましょう、解決しましょうなどとは言わない。
救い、解決するのは、あなた自身なのだから。
否、癒されればその問題はいずれ解決する。
その神通力は元々、みんな神様からもらっているのだから。
癒されて後、あなたの力が蘇りますように。

2010年6月18日金曜日

ワクワク至上主義からの脱却

もしも自分の人生を考え直す機会があるとして
その手段として
「人生はワクワクすることが一番大切」
「ワクワクすることをやろう」
と言われたり読んだりした事があるという方へ。
確かにワクワクは大切。
その通りです。
言葉上ではね。
私自身も心からワクワクできる事を心がけています。
でもね、やぶから棒にワクワクしようとしても
実際にはうまくいかない事が多いのです。
「成功したければワクワクしろ」という人の中で
実際にはワクワクがどういうものか
そこに至るまでどういうプロセスを経なければならないか
という事を本当に知っていて言っている人は
残念ながら、とても少ない。
クルマの運転を知らない人に
「クルマを速く走らすにはアクセル踏めばいい。まずは踏んでみろ!」
と言っているに近い。
危ない言葉なんです。
本当に修羅場をくぐり抜けて自分の人生を目一杯生かしている人は
あんまり「ワクワク=成功」とは思っていない。
本当に速いドライバーは、アクセルよりブレーキの使い方がとても大切だということをよく分かっている。
実際の社会生活の中で、日頃からワクワクだけで生きていられる人なんてそういません。
どちらかといえば、たまたまの縁でやっている仕事生活を送り
押しつぶされそうな重圧やニガテなものと格闘しながら生きている人の方が多い。
そんな人生の中である日突然「一日中ワクワクしろ」と言われても
なんの事やらさっぱりのはず。
実際には、ワクワクというのはあまり長続きするものではありません。
むしろ「成功」や「自分の人生を生きる」事であっても、重圧や不安、悩みの中にいる方が長いのです。
どんなに好きな事をやり続けていてもです。
ワクワクは大切だけれど、それだけを金科玉条としてしまうと
あなたの人生は暴走を始めて「思い通りにならないものだらけ」になってしまう危険性をはらんでいます。
あなたが人生の中で、ワクワクすることは一つや二つではありません。
それはめまぐるしく変化してゆくものです。
そして、ワクワクできなくても、あなたは自分の人生を全うできるし、成功もできる。
そうすれば、結果的にワクワクは増えてゆく。
むしろワクワクがあなたの欲しいものやなりたいものと関係している事は、とても少ない。
では、あなたの欲しいものやなりたいものと密接に関係しているのは何か。
それは、あなたの「得意な習性」である。
あなたが今している仕事と関係もなければ、かつて目指していた何かとも関係ない。
あなたの習慣によって培われた「得意な習性」。
これがあなたの人生を切り拓く、最初の第一歩なのです。
あなたの今の仕事は正しい。
あなたの欲しいものも正しい。
しかし、それがあなたの「直せない、直したくない習性」に合ってないのなら
あなたは次に、本当は一体何か好きな事なのかを本音で考える必要があります。
この辺の事も、しっかりと伝えて行かないとなあと思いながら
一般論にすると説明がとても難しいので、ついつい後回しになってしまっていました。
セッションでは、それぞれに合った言葉や具体的な解決方法でお話しています。
(もし不明なところがあったらいつでもご質問下さい。)
本当にステキなワクワクが、あなたに訪れますように。
佐藤千洋

2010年6月12日土曜日

真実の正体

真実は、往々にして建前や人前では言えない様な事の中に含まれていたりするものです。
それを口にすれば、差別的だとか露悪的だとか道徳的でない
というレッテルを貼られる可能性さえあります。

それほど、真実というのは現実や事実とはかけ離れています。

真っ正直に、誰の目にも明らかな様に真実と向き合って生きるということは
自己を破壊する可能性さえあります。

だから、たいていの人は口をつぐむのです。
そして、あなたの人生の真実は永遠に闇の中
ということになります。

それに打ち勝つ事ができた者だけが
露悪的であっても、自己の人生を切り拓いて行く事ができる
と思われているのも、仕方のないことかもしれません。

だからといって、真摯に生きるということが
真実なら何でも白日の元に晒せばいいということではないのです。

あなたの真実が、服を着ない素裸の状態だからといって
あなたは裸で生きて幸福にはなれないのと同じです。

真実と向き合うというのは、自分の真実が、素裸でありながら
服を着ている自分もまた自分なのであるということを
認めて生きる事と同じです。

心という水は、澄んでいるだけでは豊かさを持てないものです。
そこには水草も生え、魚が住めなくてはならない。
ビオトープのように、放っておいても豊かに繁栄し
生態系が出来上がる必要があります。

そのためには、真実と向き合いながら
それを包み隠してしまうような濁りも必要なのです。

澄みすぎず、濁りすぎず
あなたの心はビオトープのように命豊かに美しく栄えるのです。

2010年6月11日金曜日

意気消沈する度に神が叫ぶ

神は、いつでも同じ事を叫ぶ!
自分の逆境からほとばしるエネルギーを使って
自分のやりたい事だけをやれ。
評判を気にするな
たとえ名誉を失ったとしてもだ。
中から湧き出る、ほとばしるエネルギーだけを信じろ。
それ以外はゴミだ。
「NO!」と言え。

2010年6月5日土曜日

11ヶ月の法則

総理大臣がまた変わりました。
Twitterで、「総理大臣にも11ヶ月の法則が働いた」と書いたら
DMで質問を頂きましたので、少しだけ説明致します。
常々セッションなどで
「全ての事柄は11ヶ月(47週〜49週)を目処に、代謝する」
と言っています。
どんなに辛い事があっても
どんな不運があっても
ひとまずそれに決別すると決めれば
長くても11ヶ月で具体的な変化が起きる。
人間の細胞でさえ。
同じ様に
どんな幸運であっても、好調であっても
11ヶ月それに甘んじていれば
その頃に試練に転じる訳です。
直近5名の総理大臣のうち
4名までが、11ヶ月目で大きな試練を迎え
それからほどなく退陣されています。
残る一人の総理についても
就任11ヶ月目で、大きな試練を迎えました。
それを、彼は「大きな変化への決断」によって乗り越えました。
そうして彼は長期政権へ向かう事ができたのです。
どんな人にとっても
黙っていても11ヶ月後には、決断の時がやってくる。
つまり私たちは、最低でも
1年間に1.1回、10年間(+1ヶ月)で11回の決断を迫られているのです。
決断を下してから11ヶ月で目処が付き
その目処を元に、次の決断を下す。
この繰り返しで、私たちは生きているとも言えます。
この決断がないとき、停滞や試練、渋滞が起きるのです。
つまりは、決断するしないに関わらず
あなたは決断をしなければならないということです。
もし迫られるぐらいなら
自分から決断を下せばいいのです。
次の48週目を目指した決断を。
もし万が一その決断が間違っていたとしても大丈夫。
長くて49週間しかその影響は続きませんから。
もちろん
5名の総理は、11ヶ月どころか、日々が決断の連続だったと思います。
その日々の決断に忙しくて、11ヶ月目などどうでも良かったのかもしれません。
しかし、それでも11ヶ月目の試練、あるいは11ヶ月目の成果
着地点を知っていれば
少しはその重責も、和らいだのかもしれません。
変化、試練というものと、私たちはいつも向き合って生活しています。
そのサイクルを、11ヶ月という単位で見る事は
とても意義のあることです。
繰り返しますが
1年ではなく、11ヶ月なんです。
少しずつ前に前にずれる。。。
このわずか1ヶ月の違いが、私たちの人生にゆらぎと
「時」を与えてくれるのです。
ところで
私の断食の季節も、11ヶ月ごとに訪れる様です。

シャマン

私はシャマンだ。
否応なくそうなった。
それは現代が失ったもの。
だから、私たち自身がシャマンになるのだ。
未来のベクトル
神や愛する人の声
内なる声
アカシックレコード。
聞こえる
見える
感じる。
それは本来
全ての人に聞こえるはず
見えるはず
感じるはず。
誰かの特権ではない。
気づいた者、出来た者から先に
シャマンとなって名乗りを挙げて
後に続く者達に
それを伝えてゆくのだ。
それは自転車に乗る様に
慣れれば自動車を運転する様に
ネットで検索する様に
自然なことなのだ。
あなたがなれる、新しいシャマンは
特別な儀式も、にがい飲み物も難しい呪文もいらない。
狂人の様に振る舞う必要もない。
あなたに必要なものは
富、愛、美、平和、調和、健康、喜び、奇跡、安心、性の充実

2010年5月2日日曜日

良い知らせも、悪い知らせも、幸せに繋がっている

自分の夢のために
神の仕事のために
情熱のために
行動しているあなた。
思い通りにはなかなか行かなくても
感謝を捧げながら生きているあなた
あなたは天使だ。
そういう人を、妬む人たち、蔑む人たちもいる。
足を引っ張ろうとする人たち。
彼らはとってもかわいそうな人たちだ。
誰かを攻撃していなければ、自分を成立させられない人たち。
悲しい人たち。
彼らには夢がないのだ。
夢を忘れてしまった人たちなのだ。
いわれのない中傷。
心ない言葉。
妬み。
でも、天使は、そんな連中には目もくれない。
そんな連中を憎んだり、反論したり、攻撃仕返したりするよりも
自分の夢を追う事に精一杯だ。
一所懸命だ。
くじける必要はない。
それでいい。
そんな連中のことなど
1分でも考えている暇は元々ないのだから。
神様は、あなたに一番必要なものを、必要に応じて分けてくれる。
それには、良いも悪いもない。
良い悪いを決めるのは、我々の主観。
最終的に、どんな生き方をしたいのかということだけは
あなた自身が決める。
神様は、そこにしっかりと答えてくれる。
そのために必要なものを、全部与えてくれる。
それはすぐに与えてくれる。
だからイメージが必要。
夢が必要。
神との約束が必要なのだ。
大丈夫。
一度投げ出したとしても
神様は、すぐに代わりのものを差し出してくれる。
それは、もしかしたら前のものよりも困難な道かもしれない。
でもそれは、神様があなたを試しているだけだ。
やりがいや、生きるエネルギーを試されて
その試練に耐えた者、乗り越えた者、くぐり抜けた者だけが
狭き門を通ることができる。
生まれ変われる。
夢と幸せを手にする。
大丈夫。
全てはあなたが背負えるだけのもの。
その真実を知っているのも、天使であるあなただけだ。
試練とは、良い知らせでもあり、悪い知らせでもある。
そして、必ずあなたの夢の実現に繋がっている。
全ては、神が与えてくれた幸せへのプロセス。
http://www.chihirosatow.com/

2010年4月26日月曜日

激動の時代だからもっとやさしくなりたい

レイハラカミのキッチンライブを、Ustreamで観た。
日曜日の深夜に、ピーク時で3,700人以上が閲覧した。
Twitterで主催者が告知し、興味のある人だけがそのリンクにアクセスする。
ライブを見ながら聴きながら、オーディエンスはタイムラインに思い思いに書き込んでゆく。流れてゆくタイムラインが、瞬間の共有を象徴する。
それはTVでは絶対に見る事ができない世界だ。
Ustreamでは、毎日のようにミュージシャンがスタジオライブを行い、ビジネス講師がセミナーをしている。日本を代表する実業家がライブで講演している。有名無名の無数の人たちが、自分を世界に発信している。
それらが全て無料で提供されている。
玉石混淆ではあるものの、それらは今までのテレビやDVDなどの旧メディアでは考えられなかった様なプロセスで、私たちに、「エンターテインメント」「知識」「共感」を届けてくれる。
ものすごい時代のど真ん中にいて、私たちは毎日、時代が激変しつつあるのを実感している。
私の仕事もまた、Ustreamを駆使すれば、今まで考えられなかった様な事がたくさんできる。そのアイデアの10や20は、すぐにでも思いつく。
その可能性にワクワクもし、はやる気持ちを抑えきれないでもいる。
しかし同時に、私はクライアントの一人一人を思い浮かべながら、この人やあの人にとっては、Ustreamもインターネットもずっと遠い世界なのだなあと、思いを馳せる。
普段、私に電話でセッションの予約を入れてくれる、パソコンも触った事のないあの人が、もしも、iPadでもいいからUsreamで私のライブ映像 にアクセスできて、そして日頃から私の声や言葉を届けることができたら、本人からの簡単な質問に答える事ができたのなら、あの人はきっと、今よりもずっと ずっと日々を充実させ、自分の幸福を追求していける筋力を強く持てるようになるに違いないのに。。。と。
多くの人がインターネットを自分のツールとして使いこなせるようになった今でも、やっぱりそこに到達できずにいる人の中に、私の手助けを必要としている人が、少なからずいる。
どうしたら、この思いと言葉を届けられるだろう。

2010年4月13日火曜日

欲しいものノート

しごと(ライフワーク)のひとつに、リーディングセッションというのがあります。
学校の先生をしていた頃に生徒の悩みを聞いている頃から始まって、途中中断もあったけど、かれこれ30年も続いています。
このことについてはまたいつか詳しく書こうと思います。

で、セッションでお話してくれた方から嬉しい報告をもらったりするのですが、今日もまた一人、ステキな夢が、本当にまるで夢のように叶ったという報告をもらいました。そういう報告をもらうと、僕もまるで自分の事のように嬉しいものです。

僕のセッションで元気を取り戻してきた方に「欲しいものノート」あるいは「欲しいものノート」「夢のノート」を書くという事を勧めています。

自分が欲しいもの、やりたい事を毎日、ただ書いてゆくだけです。
このノートをつけるようになると、必ずそのノートに書いてある事が叶います。

時間にバラツキはありますが、きちんと書いていれば、欲しいものは必ず手に入ります。
今日のセッションで報告してくれたその人も、そのノートを真剣に続けてくれていました。素直さ、真剣さは、どんなときにも自分を助けてくれます。

他にもたくさんの人が「欲しいものノート」でいろんなものを実現しています。
最初は半信半疑で始めた方も、本当にそれが叶って、まずはびっくりし、そしてこのノートの威力に確信を持ってくれます。

そして「願いを叶える」「思い通りの人生を送る」ということの、基本的なコツをつかむことができます。
このノートの書き方はとても簡単です。



欲しいものノートの書き方

1)ノートを一冊用意する。何でもいい。自分の書きやすいもの。手帳でも日記帳でも。

2)毎日1ページ、一番上に今日の日付を書いて、その下に、今欲しいもの、やりたいこと、なりたいものを、文章でも絵でもいいから書く。

3)コツと、簡単な決まりがあります。できるだけ以下のことを守って下さい。

○現実的に不可能でも良い。むしろ現実に照らし合わせないほうがいい。

○書く内容は、できるだけ自分がワクワクできるもの。

○期限を設けないこと。せいぜい「近い将来」ぐらいで。

○なるべく毎日続けます。

○毎日、書く事が違っていても良い。とにかく毎日、自分の欲しい物をリストにする

○なるべく具体的なイメージにできる望みであること

○欲しいものがお金の場合、それが絶対に必要な金額である事が必要。



書き始めた頃は、毎日欲しいものが変わったり、揺れたりします。しかし、次第に焦点が定まってきます。
簡単なものなら、7日間程度で成就し始めます。
僕の経験では、このノートは書き慣れてくると「書いた回数」によって成就の度合いが決まるようです。
それと、自分の中で、叶いやすいジャンルとそうでないジャンルがあることに気づいてきます。ここからが、本当の勝負かもしれませんね。

書くことで本気かどうかが分かる。本気でないものは淘汰され、本気なものだけが残る。そして本気の願いは必ず叶う。

いずれにしても、願いというのは叶うものなのです。

2010年4月4日日曜日

絵を描く時間は、瞑想の時間

私は絵を描きます。
6歳の時に師事して以来
音楽をやらなかったことはあっても
絵を描かなかった事はありません。
絵を描いている時は、無我、無心。
ずっと変わってません。
だから
私にとっては、絵筆を持つ時間というのは、瞑想の時間でもあります。
最初はやっぱり考えながら描いている。
やがて無心に近くなってくると、勝手に絵筆が走ります。
こうなってくれれば、その日描いた意味がある。
いろんなものが降りてくる。
だから、一日のうち、5分でもいいから、キャンバスに向かうように心がけています。
誰かに見せようとか、誉めてもらおうとか、完成させようとか、いい絵を描こうとか
そういうのは全部邪魔。
ただ、描きたいから描くだけ。
絵は、うまくなったらおしまい。
型や、スタイルができたらまた一からやりなおし。
いつも素人のペンキ塗りのようでいたい。
自己満足の極致でありたい。
(Twitterより)

2010年3月24日水曜日

表現者の本分

「労働者が働くのと同じように、芸術家も自分の仕事をしなければならない」
(パブロピカソ)

いろんな珍訳、解釈で、意味がいろんな風に変質している、ピカソの有名な言葉の一つです。
「自分の仕事」のところは、「勉強」に変わっていたり、「働かなければならない」に変わっていたりします。

要するに、芸術家(アーティスト)は芸術家(アーティスト)だからといって、怠けたり遊んだり、天性のものだけで勝負していてはいけない、ということを、彼は言いたかったのですが、やはりアート、創造を志す者は、アート、創造を怠けてはいけないのであります。

音楽家が音楽(の練習)をしない日があってはならないように、画家もまた、絵を描かない日があってはならない。

表現をする者にとって、描く事と、奏でる事と、書くことは、一日も絶えてはならない。

アーティストという職業が、神から与えられた職業である以上、神の期待には忠実であり続けなければならない。

だそうです。


しかし私自身はどうもそうではありません。
絵を描く事、音楽をすることを、時々忘れます。

自分自身の中では、それ以外の「表現をする」ということで創造を行っているのだという言い訳をしながら、日々に追われることもあります。

言い訳?

いや、どうも私の表現は毎日毎日作業のように「術」として究めて得るものではなさそうです。

今私は、絵と、人の歩く先をほんの少し照らす手助けを生業としています。それらは全て繋がっています。それらは、私をかつて形成した、音楽と絵とデザインと心理学、哲学、教師というもののノウハウから来ています。

それを昇華するものとして、絵筆を持つ事をしています。
時々サボっていますが、ある日突然、まだ熱を帯びて再開するのです。

かつては絵筆を持つ事の意味が、自分だけに向かっていましたが、今はそうではありません。
はっきりと、その表現が、誰かのためになるという目的があります。
音楽もそうです。
かつて音楽は自分だけのためのものだった。
今は違います。
誰かのために作る音楽、奏でる音楽。
音楽になってなくても良い。音でも良い。
かつての表現が、今は全て繋がっています。
私が神のために捧げたものは、すべて誰かのためになっている。

そのためには、自分と向き合ってただ描き続けるだけでは無理なものがある。
何かを見据えて、それを注意深くやります。

描き続けます。
奏で続けます。
息絶えるまで。

2010年3月17日水曜日

朽ち果て行くもの、魂が宿るもの

二つの、人の手による、似た様なものがある。
生まれたての時は同じ様な 素材、姿をしている。
けれども、年月を経て行くうちに、その二つは、似ても似つかないものに変化してゆく。

一方は朽ち果てるように腐り、消え行く。
一方は古び、味わいとともに魂が宿り、永遠を見る様になる。
なぜそういうことが起きるのか。
それは、人の手、思いの違い。
人の手がかけられたものは、氣が入り、魂が宿る。
良いものを吸い込み、良いものを吐き出す。
そうでないものは、その逆。

素材の状態から、そういうことが起きる事がある。
製品になってからそうなることもある。
使い手がそうさせることもある。

古び魂が入ったものは、良い呼吸をしている。
良い何かを吸い、良い何かを吐き出している。
新陳代謝をしながら、絶えず生まれ変わり続けている。

人間も同じ。
どれだけ、手をかけて来たのか。
何を吸い込み、何を吐き出して来たか?
どれだけ良い呼吸をしているのか。
どれだけ新陳代謝をしてきたか。
どれだけ生まれ変わって来たのか。
その違いが、生き方、生き様、生きやすさの結果となって現れる。
生まれ変わるのに遅過ぎるということはない。

2010年3月9日火曜日

対面セッション、しばらくお休みします

一部の方には、以前からお話しておりますが
対面セッションを、しばらくの間、おやすみしようかなと思っております。
ここのところ、あまりに忙しくて身体がもたない。。。というのがあります。
対面セッションは、とても体力を消耗するのです。
それと、Twitterでも書きましたが、私のセッション自体
電話の方がかなり精度も効果も高いという事が分かって来たからなんです。
以前から電話セッションを受けられて、一度対面をご希望されているという方は例外です。
そういう方は、最低でも、一度は対面セッションをいたします。
その後必要なら、2〜3度程度を目安として。。。
そんな訳で、明日から対面セッションのみ、お休み致します。
電話セッションは引き続き予約OKです。
電話セッションの予約は、こちら
あ、それと、ただおやすみしますってだけでは、対面を楽しみにされていた方に申し訳ないので
対面セッションに代わる「何か」を模索中です。
よろしくお願い致します。

2010年2月24日水曜日

愚か者

私は神と話せる」などと触れ回る愚か者がいる。
私だ。
「神は確かにいる」などと言いふらす非科学的な者がいる。
私だ。
「神と共に生きよ」などと、さも知った風な事を言う馬鹿者がいる。
私だ。
全部私だ。
しかし私は、それでもあらゆる虚無感と戦いながら
こう言わなければならない。
もがき苦しみ求めている人たちに伝えなければならない。
「あなたは神の一部なのだ」と。
私は、神など要らぬ賢い人たちのためにいるのではない。
彼らは言うだろう。
自分の口も拭えないのに、何が神だと。
そもそも、お前が一体何者なのだと。
日々楽しく過ごせれば良いではないかと。
そういう人たちには、神は必要ではない。
虚無と共に生きても、日々その虚無を刹那の甘露で埋め尽くす
才覚とかしこさを持った人は、そのように生きれば良い。
そういう人には、私の存在もまた必要ではない。
私は、そういう人たちに見向きもされず
善と義と慈愛に生きようとして辛い目にあっている人のためにいる。
彼らもまた、賢い者と同様に、美しく、雄々しく生きなければならないのだ。
「悲しむ人は幸いである。彼らは慰められるであろう」
とはまさにその通りである。
私は、吐きそうである。
涙が止まらない。
私にはエゴがあり、悟りなどなく、欲も深い。
神を説くなどちゃんちゃらおかしい生き方しかしていない。
人の前で「神」だの「幸せ」だの言う資格があるなどと思ってない。
行いはイエスの足元の塵にも及ばない。
仏の爪の先の垢ほどの悟りもない。
それでも
私は偽善者と言われても、偽キリストと誹られても
それでもこう言わなければならないのだ。
「あなたは今、癒されたのだ」と。
そして、あなたは事実、神に護られ、神に癒されるのだ。

2010年2月22日月曜日

今日のインスピ「極限状態」

あなたが極限状態になったときには
私は必ずあなたの元にやってきて
大切なアイデアと奇跡を授ける
だから、いつも
「もう限界だ!」というところまで
紙に書いて考えなさい
そうすれば私はやってくる
極限状態こそが、私のやってくる前触れだ
耳を澄ましていなさい


だそうです。

怒るのがいけないのではない

あなたがセミナーや書籍などで「怒りはいけない」「嫉妬はいけない」それらは毒だから「持たないようにしなさい」と言われるとしたら
そこはまやかしか、何かの受け売りを買わされているに過ぎないのですから、気をつけて下さい。
喜怒哀楽は、神が人間に与えた大切な感情です。
それを持たないなんてことは出来ないのです。
「私は怒りません、嫉妬しません」なんてのは、そんなもの人間でもなんでもありません。
人間は全て、喜び、怒り、哀しみ、楽しむものです。

それらのエネルギーを、自分の向上、人生の目的にいかに変えてゆく(変換する)かが大切なのであって、それを無条件に抑え込んだりしたら、あなた自身が大変なことになります。
「決して怒るな」などと言う人のことなんか聞いちゃいけません。自分を追い込むだけですから。
喜怒哀楽のエネルギーを、明日、自分が今日の自分を超えて素晴らしくなるために昇華して下さい。
もし怒ってしまったら、まずは怒る自分を認めることです。
「自分は今、怒っている」と。
何に怒っているのか?
相手がいるのなら、相手に対する怒りをなるべく早く理解して下さい。
そして、「これは自分の望み通りになる一つの変化なのだ!」ということを宣言して下さい。
この時、エネルギーの変換が始まります。
この時、相手にこの怒りを全てぶつけてはなりません。
せっかくのエネルギーがなくなってしまいます。
もったいない。
この怒りは、神様がくれたエネルギーのプレゼントです。
エネルギーの変換をしなければなりません。
それが「手放す」ということです。
なるべく早く相手に対する怒りを手放して
自分はこの憤懣やるかたない状況を乗り越えて、前に進むのだということを知って下さい。
この状況によって、良くなるのだ。と強く宣言して下さい。
そうすれば、信じられないような奇跡があなたに起こります。
良くないのは、怒りをそのままの状態で持続させたり
相手に全部を直接ぶつけてしまう事なのです。
怒りの感情を持つことがいけないのではないのです。

2010年2月21日日曜日

神的エネルギー(2)

そのリンクの現象から、そのエネルギーのことを「潜在意識」と表現している人もいますが、潜在意識も確かにそのエネルギーの一部です。しかしその全容は、私たちが現在科学的に「潜在意識」と呼んでいるものによる力など完全に凌駕するもので、比較にならないほどのものです。
では「ご先祖」とか「霊感」とか言えば?
そんなものではないし、第一、それじゃあ特定の宗教観に基づいた表現に過ぎません。
確かにあなたのご先祖様は、あなたを見守ってくれています。そして護ってもくれているでしょう。しかしそのご先祖様もまた、そのエネルギーに支配されて存在しているのです。
例えばあなたの心が研ぎすまされているとき、あなたの思考に大きなひらめきを与えるのは、そのエネルギーがあなたの心と疎通(通信)した時の状態です。
その段階は「潜在意識」と表現できるかもしれません。
自分自身に暗示をかけて「やればできる」というアファメーションがしみたとします。実際にあなたには自信がみなぎり、モチベーションも意志の力も増大します。それは潜在意識の偉大な力が発揮されてゆく瞬間です。
しかし、潜在意識とそのエネルギー(神的エネルギー)の違いは、本当はその後に来ます。
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神的エネルギー(1)

さて、また神様の話です。
またまたです。
私自身も、段々苦痛になってきましたが、続けます。
「苦痛だなあ」と思っていたら、 Twitterでハマコーさん(浜田幸一氏)が、たまたま坂本龍馬の言葉を引用してつぶやいていました。
「世の人は我をなんとも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る」
素晴らしい言葉です。高校時代、受験勉強もそっちのけで「龍馬が行く」を読みふけっていたのを思い出します。
ちなみにNHKの大河ドラマ「龍馬伝」が話題になっているようですが、私は残念ながら一度も見る機会を得ていません。
さて、話を神様の話に戻しましょう。
わたしは神様とお話ができるということ、そして、そのことは決して特別なことではなく、誰にでもできることなのだということについては、前にも書いたような気がするし、幾度もいろんな人に話していることです。
「神様とお話をする」というのは、太古の昔からみんなやってきたことなのですが、誰もそれを体系づけて教えてくれていません。それはまるで宗教的秘術のように封印されたり、逆に「迷信」としてそこに近づく事を罪のようにされたりしてきました。
なぜなのかは分かりません。
万能で無限の叡智から、いくらでも富と知恵を汲み出せるからなのでしょうか。
「神と話す」と言うと、だいたいは気が変になったか、おかしな宗教にかぶれたか、というような事になっているようです。
「わたしは正常だ」と言っているのではありません。

神とは本来、宗教とは関係のない存在なのです。
どんな宗教の、どんな教典や教義にも左右されない、自由な存在です。
唯一でもなければ、八百万でもないのです。
それは「ある」と言えば、また特定の宗教の教典に立ち戻ってしまうかもしれませんが、しかし、それは「ある」でもあり「ない」でもあるものであり、あってもなくてもどちらでも構わない存在。
ひとつだけ言える事は、わたしたちの人生や現実は、自分自身でもあり、神でもあるエネルギーのコントロールによって成り立っているという現実であり、そのエネルギーは、わたしたち自身の「意思」だけでは動かせない法則に則っているという事です。
そして、そのエネルギーは、私たちは直接のコントロールはできないまでも、私たち自身と意思の疎通だけはできる、ということなのです。
じゃあ、エネルギーと書けば良いではないか、神とはあまりに大仰ではないか。と思う人もいるかもしれません。
しかしながら、私たちには、自分でどうにでもコントロールできるエネルギーもまた、あって、日頃からそれを使って生きているのです。
それはどちらも自分を動かし、自分を取り巻く環境を変えてゆくエネルギーです。
そしてそれには2種類ある。
自分の意志でコントロールできるエネルギーと、自分の意志ではコントロールできないが、意思の疎通はできるエネルギーです。
自分の意志でコントロールできるエネルギーは、とても大きなパワーを持っています。それは自然界一かもしれません。
けれども、そうでない(コントロールできない方の)エネルギーは、それとは比べ物にならないぐらい、無限に近いほどのパワーを持っているという事です。
そのエネルギーは、あなたの心とリンクしています。
(続く)

2010年2月18日木曜日

完璧というのはない

何かを行為したり、発言したり、発信するということは
必ずそれに対する反響というものがあります。
その反響には、プラスになるものもあれば、マイナスなものもあります。
心地良いものだけとは限らず、全くもってよろしくないものばかりとも限りません。
それはいつでも半々であり、あるいは6:4ぐらいの割合かもしれません。
うまくいって8割ぐらいでしょう。
賛同や評価が100%という自分の行為なり発言があるとすれば
それは逆に、気をつけなければならないかもしれません。
欠点のないものはなく、また100%完璧なものも、この世界には存在しません。
どこかに必ず、パーフェクトでないものを持ちながら
私たちは生きているのです。
完璧は、息が切れます。
もしも「自分自身はパーフェクトだ」という人がいるなら
その人は自分の至らない部分を他人に負いかぶせて生きている人です。
その人自身の未熟さを露呈しているに過ぎません。
私たちは一人残らず不完全です。
不完全だからこそ、生きられるのです。

セッションというもの

時折、セッションを受けた人から、呼ばれることがあります。
呼ばれるというのは、「ふと」よぎる訳です。
といっても、やはりその辺はいろいろ気にかかる事があっての話ですから
何度かセッションを受けられた方の話です。
そういう時には、たいていその日のうちに
その方から予約の電話が鳴ったり、メールが来たりします。
自分でメールアドレスを交換している方にはメールを
そうでない方には、電話番号が分かっていれば、スタッフに電話をしてもらいます。
人によっては「なんで分かったんですか!」とびっくりされます。
こちらとしては、何となく、虫の知らせで。。。としか言いようのない
なんとも頼りない返事しかできない事がほとんどですけれど(ごめんなさい)。
今日もそういう方が一人いらっしゃいました。
しかも、今日の場合は、スタッフが先に虫の知らせを受け取ったパターンでした(笑)
そして、セッションをして、本当に良かった。
遠慮してなかなか電話できずにいたけれど、今日、セッションにして本当に良かったと
その方と僕と、本心からそう思いました。
この仕事を、お金のためでなく、ただ自分の趣くままに
自分の失敗や苦しみを乗り越えて来た経験や
職業上での経験から、一人ボランティアで始めてから
ずいぶんと月日が経ちます。(22年目)
最初は本当に気まぐれでやっていましたから、気楽なもんでした。
でも、不思議なものでだんだん増えてくる
初対面でも、僕の能力を見抜いて
相談してくる人もたくさんいるものです。
それは、僕の能力がどうとか、そういう話しではなく
やっぱり天が引き合わせてくれているのだなあと強く感じます。
そして、人に「お金を取って下さい」と言われて
初めて有料にした日から数えても、早3年が経とうとしています。
今でも、できることなら無料でやってあげていいのに。。。
と思うこともあります。
それはさすがにもはや難しいようですが。
私の能力は、男性としては結構珍しい(らしい)のと
「分かる」だけでなく、的確で実践的との評判をいただいて
もっと世に出たら?と言われる事が、何度もあります。
広告代理店にも、「今のセッション代金は安過ぎます。かえってアヤシいと思われますよ」
と釘をさされたことがあります。
けれども、そういうのはイヤなので、断りました。
もしもセッションが一日に何十人も来てしまっても
今の金額以上には上げたくないと思っているし
上げるつもりも全くありません。
一日に24人の方が来てしまったら、24人、セッションをします。
一人50分なんですから、10分の休憩はとれます。
24時間で、4時間は休憩できます。
そういう覚悟でやります。
でも、一日に24人でも少なすぎますね。
もっともっと役に立ちたい。
もっともっと、苦しんでいる人をたくさん救いたい。
最近、強くそう思う様になってきました。
何をしたらいいんだろう。。。
神の趣くまま、動こうと思います。

2010年2月15日月曜日

不安から逃れる方法

不安や焦りが全くない人生などありえません。
問題のない人生もありえません。
誰しもが、絶えず何かしらの問題を背負いながら
ある時は解決でき、ある時は流れに身を任せながら生きています。
どんな人でもです。
成功している人、幸せに生きている人は、それが分かっている人です。そしてそれに打ち勝っている人です。
最終的には、誰しもそれに打ち勝つ力を身に着ける必要があり、そしてそれは誰にでも可能な事なのです。

安楽ではいけません。
だからといって苦労しろということでもありません。
もちろん、ニガテなことやイヤなことを進んでしろということでもありません。理不尽を我慢しろというのでもありません。
大切なことは、その問題を、正面から見据えてやるということです。
そしてそれを認めてやるという事です。
直面している問題や試練が、自分の目標や価値観に照らして打ち勝つ意味があるのかどうかを検証することです。
そうすれば、おのずと逃げて構わないものと、打ち勝ってやるというエネルギーが湧いて出てくるものとに、分けることができるのです。
ただし、あなたに人生の目標や哲学のない状態では、問題はとても大きくのしかかります。
そして不安も大きくなります。
不安を取り除くには、まず最初に、あなたに人生の目標や哲学が必要なのです。
もしそれがあれば、あなたにとって、その問題や不安は、またとないチャンスなのです。

2010年2月4日木曜日

アファーメーション音源サンプル制作中

東京水晶市場に来ていただいているお客さんと、セッションを受けた事がある方のために、今、アファメーションのための音源を作り始めています。
いわゆるアファメーションとは、深層心理のところからリラックスしたり、元気になったり、癒されたり、潜在意識を活性化して願望を実現したりする宣言文のようなものです。
これまでは、セッションを受けた方それぞれに文章で作ってあげていました。
それぞれ朝晩などに読み上げるのです。
読み上げることと、自分の耳に声が入ることで、大きな効果が生まれます。
でも、そういう時間や一人になる場所は、なかなか確保できないものです。
私自身も、アファーメーションの読み上げ、暗誦はなかなか実行が難しい事があります。
そこで以前から私自身が活用していた事に、ボイスレコーダーに自分で書いたアファメーションを録音して、それを移動中や寝る前などに繰り返し聞くというものがあります。
声を出して読むということにも意味があるのですから、一見、この方法は効果が薄いようにも思えますが、長年の試行錯誤と研究の末、アファメーションの構築 法やトーン、テンポに法則やルールがあって、それをしっかりと踏まえれば、自分で声を出す以上の効果が出ることがわかってきました。
実際、ただ漫然と読み上げるだけのアファメーションのような声を入れるだけでは、リピートしているうちに「うるさい」と感じて、かえって拒否反応も起きてしまったりもします。
大脳生理学や心理学、音楽的な分析を繰り返して、最適の状態を作り出し、潜在意識に良い波動と良い意識だけが入り込むような状態を作り出し、自分で声を出 して読むよりもずっと効果があるアファメーションの構築方法を完成して、私自身だけのものとして、今は持っている状態です。
それではもったいないので、私が吹き込んだ、みなさんにお配りできるサンプルを作っています。
そしていろんな場面に即した完全版の音源制作中
必要な場面や必要な効果に応じて選べます。
効果は抜群なものばかりです。
もうすぐできます。お楽しみに。

2010年1月27日水曜日

神様というもの(2006年01月30日の手紙から)

僕は、神様が大好きです。
神様という存在は不思議なもので
その存在に気付いた人を、完全に守ってくれるのです。
神様は、全自動の法則の様な存在です。
アインシュタインの有名な言葉に
「神はさいころを振らない」という言葉があります。
宇宙の現象には、偶然は存在しないという意味です。
彼は、この言葉を、科学的な根拠と、彼の信仰心と
両方の意味で言ったと言われています。
僕も、いつしか、偶然というものは存在しないという事を
強く感じる様になっていきました。
どうしても、神の存在、あるいは「神の法則」といったものの存在を
信じずにはいられなくなったのです。
宗教的な事は僕はよく分かりませんし、いわゆる宗教は好きではありません。
が、神という存在を強く意識するようになったのでした。
神様の存在、神の法則を認識するようになると、不思議なもので、よく、瞑想する人達が言うところの「気付き」という現象がどんどん起きる様になります。
それは、非常に感覚的なニュアンスだったり、はっきりしたメッセージであることもあります。
今も、毎日新しい発見があります。
それは、気付いて間もない頃には、自分で言葉にすると「なんか違う」ものになってしまうのですが、何度も何度も反復して気付くうちに、はっきりと、定義のようなものになっていくのです。

新しいてつがく(2007年2月23日の手紙から)

戦いの場から離れる事
もしも、今、戦いの場にあって
戦わなければ自己を実現できないと考えているのなら
誰かを害したり、排除しなければ
自分の道が閉ざされると感じているのなら
流れは、ひとまずその場から離れる流れ
だから、今すぐ、すぐにその場から離れよう
反撃もせず、我慢もせず
勝ちもせず、負けもせず
怒りを表現することも
評判や名誉も
誰かの非を指摘することもまずは後回しにして
その場から離れて一人になってみる
そして、自分にとっての本当に望む結果をもう一度思う
それは、逃げることではない
負けることでもない
もしも仮に、そこから撤退しなければならなくなったとしても
自分が望むものにとっては
それはあくまで一時的な撤退に過ぎない
結果は、 望み通り、思い描いた通りになることは
もう、 分かっているのだから
全ての出来事は、自分の望みが実現してゆくための、通過点
信じ続ける者だけに与えられる、真の勝利のための演出
(20072月23日の手紙から