2009年12月3日木曜日

知恵

知恵のある人は、とても魅力的。 
知恵を大切にする人は、必ず幸せになれる。 

知恵は、頭の良し悪しとは全然関係ない。 
素直になりさえすれば、知恵は天から降ってくる。 

知恵は優しい。 
母の様に優しく、あなたを守ってくれる。 

知恵は知識と関係ない。 
むしろ知識は、知恵が降ってくるのを妨げる。 

知識ではなく、知恵を持とう。

2009年9月3日木曜日

プロセスの最初

「神様はあなたの全てを許して下さる」 

誰しもが一度は聞いた事のある 
(新約聖書のどこかにある)この言葉こそが 
最初のキーワードであり 
最後までつきまとう重要なキーワードのひとつです。 

2009年6月10日水曜日

目覚めの喜びが強過ぎる時は気をつけて下さい

あなたが初めて気付きを得た時は 
目覚めの喜びでいっぱいでしょう。 
それは良いことですが 
でも、もしもハイなのであれば 
気をつけて下さい。 

あなた自身の事ばかり話したくなるような状態なら 
気をつけて下さい。 

叫びたくなる様な衝動にかられているのなら 
気をつけて下さい。 

その強過ぎる喜びは、毒にもなるのです。 
あなたのその目覚めは、まだ 
覚え立てのセックスのごとく、抑制や思いやりのきかないものです。 
入り口で感じているだけかもしれません。 


あなたにとって本当の目覚めとは 
緩くて、あなたの気が誰にも影響を与えないもの 
気づいていることがまるで見えてないように見えるもの 


あなたが研ぎすまされてハイなときに 
見えたり聞こえたりしているものに実体はありません。 

それはすぐに見えなくなります。 
そして、その時初めて 
そこから、あなたの本当の、目覚めが始まるのです。 

といっても、今の状況がいけないという事ではありません。 
それは味わうのに十分価値のあるものです。 
長くて1年 

感動や喜びが一段落したら、どうぞまた来て下さい。 

2009年4月22日水曜日

前世から続くカルマというものはない

セッションの際によく尋ねられるのが「前世(生前)から受け継いだカルマはあるのですか?」という質問です。
それは、ありません。前世にあなたが起こした事が原因で、現世で償わなければならないこととか、やり返されなければならないという様な事は一切生じないのです。
カルマとは気のエネルギーです。現世で生じ、現世で還元してゆきます。エネルギー保存の法則とよく似ています。物質世界のそれと少しだ け違うのは、波動や気といった、物質のエネルギー量に換算できないものの変換としてカルマが保存されるという点です。しかしそれらはあなたの魂にいつまで も引き継がれるものではありません。物質のエネルギーがいつまでも一カ所にとどまっていることができないのと同じ様に。
カルマには心地良いものも心地よくないものもあります。
心地よいのは正のカルマ、つまり愛、優しさ、同情、共感、包容、許容、敬意、栄誉、協力といったものです。これらのカルマは発した方も受けた方も、心地よく、そしてさらにそのエネルギーを倍加して他に与えることができます。
逆に心地よくないものもあります。負のカルマ、つまり怒り、悲しみ、嫉妬、ひがみ、恨み、批判、強制、脅し、罵り、暴力、無視といったようなものです。こ れらは、発した方も受けた方も深く傷ついてしまいます。万が一そのようなエネルギーを受けてしまうようなら、違うものに転換して解消してしまう必要があり ます。
カルマは受けると必ずそれをそのままの形で他にバトンのように受け渡すか、違うものに変換して発信するかすることになります。そうでなければ自分の中に取り込み、人格の一部として形成することになります。それらは一生が終わる時に地に帰ります。
他の人に転換してしまった時には、それは回り回ってまたあなたにも帰ってきます。
だからもしも受けたくないカルマなのであれば、それを不用意に他の人には転換できないのです。仏教でいうところの「因果応報」です。
不思議なのは、それらのカルマはその空間や地に対しても残るという事です。多くの人が「霊」といって恐れているものの多くは、カルマのエネルギーがそこに残り停滞している状態です。他の人はそれを空間記憶と呼んだりもします。
正のカルマは慈愛と平和を呼び、喜びに満ちた世界を作り出します。
逆に負のカルマは争いや憎しみを呼んでしまうかもしれません。
そこに善悪はありませんが、負のカルマは受けすぎることは辛いことです。
私たちはもし負のカルマを受けてしまったとしても、自分で溜め込んだり他の人に転換させることなく、自分で捨て去ることができます。た だ、それをするためには厳しい修行を経なければならないかもしれません。ブッダが一生をかけて解明し、人々に伝えた事の多くもまた、このカルマの上手な解 消をして、心穏やかに生きることでした。
イエスキリストは、人々が抱え込んでどうすることもできない状態に陥っていた負のカルマを、全て自分で背負って死ぬ事で、それを解消してくれた人と言えるかもしれません。
しかしお釈迦様もキリストも信仰しなかったとしても、あるいは厳しい修行をしなかったとしても、あなたはそのカルマを解消することができます。
例えば私のように、ある程度カルマの解消の方法を身につけた存在を見つけてそれを話し、解放してしまうこと、カルマを託してしまうという事もひとつの方法です。
私は多くの立派な聖者の方には及ばないかもしれませんが、あなたのカルマを受け、それを地に帰して浄化する方法は身につけています。
あなたは前世から引きずる負の遺産もなければ、覚えてもいない因果応報を持って生まれて来た事もありません。あなたにあるのは、今この一生の間に行う様に神様から課せられた「幸せになり、幸せにする」という義務だけなのです。
(2009/04/22)