2008年9月5日金曜日

幸せの仕組み(愛と問題解決)

幸せとは、愛に裏付けされた問題解決の瞬間です。

人は常に問題を抱え、それを解決しながら生きます。
あなたも常に問題を抱えています。
問題を抱えていない人間はこの世に一人もなく、
全く問題を抱えていない状態の人もまた、この世に一人として存在しません。
一つの問題を解決しても、またすぐに違う問題が起きます。
多くの人は、現実の問題を解決できずに、心に問題を抱えています。
しかし、本当は、解決できない問題が、あなたに課せられる事は、絶対にありません。
全ては解決できる問題なのです。

その問題が解決し、愛があり、愛をやりとりする事で、人は幸福感を味わいます。
愛は問題を解決するためのエネルギーでもあり、問題を解決する時に
幸福感を味わうための必須の条件でもあります。
愛なしで解決できる問題はなく
仮にあなたが愛なしで解決できると思った問題は
たとえ解決できたとしても、幸福感を伴うことはありません。

あなたは誰かを愛して生きています。
誰か(あるいは何か)を愛さずに生きられる人は一人もなく
誰にも(何にも)愛されずに生きられる人も一人もいません。
愛が足りなくなることで起きる、心の問題、現実の問題、病気はたくさんあります。
どんなに目の前の問題を解決できても、それが愛のないものであるなら
あなたは幸せになることはありません。
あなたが幸せになるということは、少なくともあなたが愛する人
あるいはもう少し広い範囲の人もまた、同じように問題を解決することができ、
愛のやりとりをしたという実感が伴う事でもあります。

家族や男女の愛だけでなく、例えば睡眠という行為もまた、愛を受けるための行為です。
睡眠によって人は自然、あるいは神からの愛を受けます。


(2008/09/05)

2008年8月30日土曜日

しあわせには仕組みがある

人生の困難に直面し、壁に突き当たった時
幸せについて書かれている本を読んだ経験があると思います。
そのとき、もしかしたら、こんな言葉に出会った事があるかもしれません。
「幸せとは、お金のあるなしや、社会的地位、他人の評判、見た目とは何の関係もない。
幸せとは、心の状態である。あなたが幸せだと思えば幸せだし、不幸だと思えば不幸なのだ。」と。

ある時はこの言葉に心から同意でき
そしてまたある時は、全く同意できない
そんな両方の経験をお持ちではないでしょうか。
幸せを感じていたり、やりがいのある仕事の後の充実感を感じている時
あるいは深くリラックスしている時、余裕のある時
わたしたちは、「幸せとは、幸せと感じるそのものなのだ」と実感できます。
幸せとは、あなた自身の思いであって、外に現れている状況ではありません。
それは確かです。
しかし逆に、逆境にあるとき、私たちはこうも思います。
「今の状態が改善されなければ、自分は不幸なのだ。なのに
自分を幸福だとどうして思えよう。
私が知りたいのは、この目先の問題を解決するすべなのだ」と。
目先の問題を解決し、外に現れている状況によって、私たちの感情が左右され
幸福感を作り出すこともまた事実です。
あなたが読んだその本は、嘘を書いている訳ではありません。
ただ、幸せには、仕組み(メカニズム)があります。
その仕組みを正しく知る事で、その本に書かれている幸せの定義が真実味を持ちはじめます。

その仕組みを知って行動すれば
どんなことがあっても、あなたは自分を「幸せだ」と思え
どんな逆境にあっても、それを意に介さず
自らを幸福に向けて進めてゆく事ができるようになるでしょう。

逆に言えば、幸せの仕組みを知らなければ
あなたはどんなに「幸せだ」と思おうとしてもいつも何かの不安に怯え
問題を解決できたとしても、ちっとも幸せにはなれないのです。
幸せの仕組みとは何でしょう。
それは決して難しいものではありません。

(2008/08/30)

2008年7月31日木曜日

若い時のしあわせ

幸せとは、人生の絶頂でもあります。

あなたにとって、人生の絶頂とはいつですか?
あるいは「いつでしたか?」
私とお話をしてくれる人の多くは
「若い頃は」「もう少し若かったら」と言います。

17~8歳から22~3歳の頃、あるいはもう少し後まで
人は、若さの絶頂期を迎えます。
実際、その時期、人は、何でもできるような気がします。
永遠にこの日々が続くような気持ちになります。
夢が無限に広がっています。
毎日が新しい発見、新しい体験で埋め尽くされています。
退屈することがありません。
理知的であり、記憶力は誰よりもよく
そしてコンプレックスさえも跳ね返す素晴らしい出会いに満ちています。
自信にあふれています。
不可能がないように思えます。
これを「人生の絶頂」と考える人はとても多いのです。
いえ、何にも知らなければ、それが当たり前だと信じて生きています。
「自分は若い」と思っているうちだけ、人生の喜びを満喫できると。

だから、若さや、若さ故の奔放さを失った時
人は初めて「人生の下り坂」を迎えたような気持ちになります。
「自分の人生はもう終わりなのか」とか、「もう歳なんだ」とか。
そう思ってしまえば、その人は、本当の幸せ、本当の人生の絶頂を迎えることなく
本当に歳をとって、無味乾燥な余生に突入してしまうでしょう。
本当の人生の喜び、本当の幸せ、本当の絶頂は
若さにまかせていた頃とは比べ物にならないほど
強く、深く、味わい深いものなのに。
でもあなたは違います。
あなたは、今この瞬間から、新しい自分と出会います。
そして、全く味わった事のない、人生の喜びを見いだすでしょう。
若き日々の「幸福感」というものが
いかに一過性のもので、表面的なものであったかを知るでしょう。

若い日々の幸せとは、誰にでも訪れる、ほんの一瞬の輝きでしかありません。
本当の幸せとは、あなたの年齢や体力、容姿、時間の流れとは
まったく関係がありません。

本当の幸せとは、今まであなたの心を蝕み、いつも占領していた悩みや無力感の代わりに
一生涯、泉のように、こんこんとわき出し
あなたの心を満たす、あなたの飲み物、あなたの食べ物
あなたのエネルギーそのものなのです。

あなたはもう、過去を懐かしんだりはしません。
なぜなら、今この瞬間から、あなたはどんどん幸せになってゆくからです。
(2008/07/31)

2008年7月23日水曜日

幸せについて想いを馳せる

幸せってなんでしょうか?
それは、あなただけが知っています。

あなたにとっての幸せとは何ですか?
得たいと思い、得られなかったものが得られた時、人は幸せを感じます。
努力してその結果が報われたものであったとき、人は幸せを感じます。
誰かのために生き、誰かに必要とされ、誰かと共に生きているときも。
誰かに「ありがとう」と言われたときも。
「ありがとう」と言えたときも。
誰かに「愛してる」と言われたときも。
「愛してる」と言えたときも。
安心しているときも。
安心をあげられたときも。。。
自分にとっての幸せが何なのかについて想いを馳せてみて下さい。
自分だけの幸せを見つけることは、とても大切なことです。
その時。。。
誰かと比べない。
みんながそうだからと思わない。
常識で考えない。
年齢で縛らない。
制約や限界で考えない。
過去の実績や経験にとらわれない。

自分にとっての幸せに想いを馳せてみて下さい。
それが、幸せになるための最初のステップです。
全ての限界を取り払って、想いを馳せてみて下さい。
人はみんな幸せになるのです。
(2008/07/23)

2008年7月16日水曜日

誰でも幸せになれる、でも幸せって何?

幸せと感じるために、人は生きています。
幸せと感じることができないのなら、その人生は無意味です。
でも安心して下さい。
だれでも、幸せになれるのです。
花が咲くのが自然のルールであるように
人が幸せを味わう人生を送るのは自然のルールです。
もしも仮に今、どんなに不幸や不運が自分を襲っていても
それは必ず解決するし、充実した日々の中でそれらは霧散するでしょう。
「人生はなんと素晴らしいものだ」と叫びたくなる人生を送ることでしょう。
そして、いつも素敵な笑顔で過ごすことができるようになるでしょう。
人間なら誰しも、みんな幸せになりたいと願っています。
そして、人間なら誰しも、みんな幸せになれる素質と可能性を持っています。
だれでも、幸せになれるのです。
いえ、あなたは、誰よりも幸せになる義務を持って生まれてきたとさえ言えるのです。
あなたがもし今不幸な人生を歩んでいると思うのなら
それは、あなたが義務を果たしていないことになります。
なぜならあなたは、幸せにならなければならないからです。
ところで、幸せとは一体なんでしょうか?
お金持ちになることでしょうか。
それとも何でも思い通りになることでしょうか。
家族と一緒にいること?
眠ること?
おいしいものをたくさん食べる事でしょうか?
好きなことをしている時?
あなたにとっての幸せとは、何ですか?

お金持ちになることでしょうか。
それとも何でも思い通りになることでしょうか。
家族と一緒にいること?
眠ること?
おいしいものをたくさん食べる事でしょうか?
好きなことをしている時?
あなたにとっての幸せとは、何ですか?
私のオフィスは、新宿駅のサザンテラスという場所の近くにあります。
そこはクルマが入れない、ちょっとした遊歩道になっています。有名なカフェやドーナツ屋さん、レストラン、デパート、ホテル、が並んでいてとてもにぎやかな場所です。
にぎやかですが、のんびりとした雰囲気もあって、カップルや、外国から来る観光客の方たちのやすらぎの場所にもなっていたりします。もちろん、会社勤めのサラリーマンやOL、学生たちもたくさん通ります。
私はここで時々、そこを通る人たちの人間観察をするのが好きなのです。
表情を見ていると、その人の人生が見える時があります。
どんな生き方をしてきたのか、どんな人生と価値観で今を生きているのかが、見えてきます。
そうして観察していると、しかめっ面で、口をへの字にしている人がとても多い事に気づかされます。
とても幸せな人生を送っているようには見えません。
それは特に平日の夕方に多い様です。
けれども、たとえものすごい形相で歩いていた人でも、ひとたび同僚や友達に会ったり
待ち合わせていた恋人を見つけたりすれば
途端に満面の笑顔に変化します。
そういう顔は、嬉しく、幸せそうに見えます。
笑顔は、その人を幸せそうに見せてくれます。
いえ、実際に、幸せな瞬間を過ごしている時
人はみんな笑顔になります。
例えば、おいしい食事をみんなで楽しく食べている時
人は幸せな気持ちになります。
そして、笑顔になります。
人は、幸せでなければ笑う事はできません。
幸せが一体何であるかは別として、幸せな時
人は、たいてい笑う事ができる、ことだけは確かな様です。
人は誰でも、問題を抱えて生きています。
その問題が背負いきれるかどうか分からないような大きな問題だと感じたとき
人は「不幸だ」「不運」だと感じます。
「不幸」だ「不運だ」と感じる時間や機会よりも
「幸せだ」と感じる時間や機会の方が多い人生だったらどうでしょう。
それが幸せな人生ということになるのでしょうか?
幸せとは一体なんなのでしょう?
幸せと感じるためには、どうしたらいいのでしょうか?
(2008/07/16)